三見地区

三見は萩市の西端に位置します。三見の中央は沖積層平野で、その三方は山々に囲まれて、北面の海岸線は日本海に広がる半農半漁の自然豊かな地域です。


三見が開けるのは江戸時代で、萩城下町から赤間関(下関)へ通ずる赤間関街道北浦道筋沿いに発展した宿駅三見市が発端です。


現在も、当時の町並み、目代所(駅)跡、御高札場跡、元薬問屋など往時の史跡のおたからが残っています。

一方、中央に流れる三見川をさかのぼれば、三田八幡宮の巨木、珍種の陸貝、公民館の萩焼陶壁画、吉広のバクチノキ、床並の三見橋(眼鏡橋)など多様なおたからと出会うことができます。

東西を横切る赤間関街道沿いと、南北に流れる三見川沿いに点在する自然、歴史、文化の佇まいを感じながら散策してみませんか。

三見橋

三見橋(通称 眼鏡橋)

山口県下最大級の石橋です。深い谷を渡すためのアーチ橋で、同様の橋は、江戸~大正時代にかけて多く作られました。基礎には、建造当時としては珍しいコンクリートが使われています。

周辺は、地元の方の手作りで整備されています。石橋とアジサイと緑の山のコントラストが美しい6月頃の風景が特におすすめです。

三見市の町並み

赤間関街道の宿駅として発展した三見市の町並み

三見市(さんみいち)は寛文5年(1665)に赤間関街道の宿駅に取り立てられ、萩城下に近い宿駅のひとつとして人や馬を取り継ぎ、宿や食糧を提供していました。現在も旧街道に沿って軒を連ねる家々が建ち、高札場や目代所の跡、薬問屋を営んだ家などが残されています。​

宿駅三見市を伝える目代所跡 

目代所(もくだいしょ・駅)跡 三見市には、荷物や人を運ぶ馬(伝馬)31疋が常備されていました。街道を通る旅人に伝馬を手配するのが目代(駅長)の役目でした。現在は、それを伝える馬の像(萩焼)が建てられています。

復元高札場

復元御高札場(ふくげんごこうさつば) 周囲の人々が集まってくる場所でもある市(いち)には、大衆が守るべき幕府や藩からのお触書きが、高札場に掲示されていました。現在は、そのことを伝えるため、高札場のイメージを伝えるパネルが建てられ、「親に孝行せよ」など、当時のお触れを現代でも分かる言葉に意訳して掲示しています。

三見の田園風景

山間に広がる三見の田園風景

かつて三見は、街道や海を通じて萩城下に農産物や薪などを供給していました。今も工夫を重ねながら、稲作や様々な野菜や果物が作られています。

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もっと三見のことを知りたいと思ったら、ぜひ、三見のおたからマップをご覧ください。

三見おたからマップ

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2021年6月23日更新