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平成27年の世界遺産登録を目指して2 萩エリア・萩反射炉/鹿児島エリア

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年11月13日更新

明治日本の産業革命遺産ロゴマーク 
 「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」は、平成27年6月頃に開催されるユネスコ世界遺産委員会で、世界遺産登録の可否が決定されます。
 この遺産群は九州・山口を中心に8県11市に28資産あり、時代に沿った8つのエリアと萩市内の5資産を5回にわたり紹介します。

1.萩エリア

萩の産業遺産群

 萩エリアは時代順に1番目のエリアで、萩城下町、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、松下村塾の5つの資産で構成されます。

(2)萩反射炉

試験炉として、試行錯誤による産業化を示す

  椿東前小畑に現存している萩反射炉は、西洋式の鉄製大砲鋳造を目指した萩藩が安政3年(1856)に建設した反射炉の遺跡です。
 鎖国状態にあった江戸時代にあって、大陸に近い西南雄藩は、アヘン戦争での清国(中国)の敗戦やペリーの黒船来航により危機感をもち、海防の強化に取り組みます。各藩は、わずかな蘭書の知識などを頼りに自力で、射程距離の長い鉄製大砲や大型の軍艦を建造しようと試行錯誤します。当時は鉄製大砲を建造するには、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があり、その装置として反射炉を用いていました。

萩反射炉
大正13年(1924)に国史跡に指定された萩反射炉
(煙突部分が現存)

  萩藩は、既に反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士らを派遣し、鉄製大砲の鋳造方法の伝授を申し入れます。一回は断られますが、その後反射炉をスケッチすることは許可されます。文献調査の結果、スケッチした図面は見つかりませんでしたが、「安政3年に反射炉の試験炉を築いて大砲などの鋳造を試みたが、本式に反射炉を築造することを中止した」という内容の萩藩の古文書が発見されました。現在、萩反射炉は、この時に築いた試験炉であると考えられています。
 当時の蘭書の設計図どおりの反射炉としては「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の資産にもなっている韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)が唯一残っていますが、萩反射炉は試験炉としての性質をもった、当時の試行錯誤による産業化を示す貴重な資産です。

反射炉構造図

 

反射炉の構造と特徴
 炉と煙突に大きく分けられる。
燃焼室で焚いた燃料の炎と熱を浅いドーム形の
天井に反射させて、溶解室に置いた原料鉄に熱
を集中させて溶解させる。高い煙突を利用して
大量の空気を送り込み、炉内の温度を千数百度
にして、鉄に含まれる炭素の量を減らし、鉄製大
砲に必要な軟らかくて粘りのある鉄に変える。

2.鹿児島エリア

日本初の西洋式工場群

 鹿児島エリアは時代順に第2番目のエリアで、古くから日本の南の玄関口となっている鹿児島市にあります。エリアには旧集成館、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館の3つの資産があり、いずれの資産も鹿児島湾を望む薩摩藩主・島津斉彬の別邸・仙巌園に隣接しています。
 アヘン戦争後、欧米列強の脅威を察した斉彬は、西洋技術の情報を得て日本の伝統的な施工技術と適合させ、独力で反射炉による大砲鋳造、洋式艦船の建造、紡績、ガラス製造、活版印刷などの富国強兵・殖産興業政策を実施しました。この事業を「集成館事業」と言い、これらは日本初の西洋式工場群として、現在も良好に保存されています。

旧集成館反射炉跡
旧集成館 反射炉跡
安政4年(1857)建設