平成27年の世界遺産登録を目指して3 萩エリア・恵美須ヶ鼻造船所跡/韮山エリア
「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」は、平成27年6月頃に開催されるユネスコ世界遺産委員会で、世界遺産登録の可否が決定されます。
この遺産群は九州・山口を中心に8県11市に28資産あり、時代に沿った8つのエリアと萩市内の5資産を5回にわたり紹介します。
1.萩エリア
萩の産業遺産群
萩エリアは時代順に1番目のエリアで、萩城下町、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、松下村塾の5つの資産で構成されます。
(3)恵美須ヶ鼻造船所跡
ロシアとオランダの技術を使って洋式船を建造
椿東中小畑にある恵美須ヶ鼻造船所跡は、萩藩が設けた造船所の遺跡で、幕末に2隻の西洋式木造帆船を建造しました。
徳川幕府は、大名統制のため江戸時代初期に軍艦等の建造を禁止する大船建造禁止令を制定しました。しかし、ペリーの黒船が来航した嘉永6年(1853)、幕府は禁止令を解禁し、翌年には萩藩に軍艦を建造するよう命じます。また、安政2年(1855)に、桂小五郎(木戸孝允)が軍艦建造の意見を藩に提出します。これらを受け、翌年には当時の藩主毛利敬親が洋式軍艦を建造することを決定します。
当時、国内では伊豆半島の戸田村で、ロシア人海軍将校のプチャーチンが地元の船大工を使って西洋式木造帆船を建造していました。これが日本人による初の本格的な洋式船建造で、萩藩は戸田村に船大工棟梁を派遣し、建造に携わった技術者を招へい、安政3年(1856)恵美須ヶ鼻に造船所を建設します。ここで同年、「丙辰丸」が進水します。
また、万延元年(1860)には2隻目の西洋式帆船「庚申丸」が進水します。庚申丸の建造技術は、丙辰丸とは違い、幕府が軍艦の操縦と建造の技術習得のため設立した長崎海軍伝習所でオランダ人教官が教えた技術が用いられました。
このようにロシアとオランダという2つの異なる技術による造船を1つの造船所で行った例は他にないこと、また幕末に建設された造船所で唯一遺構が確認できる造船所であることが評価され構成資産となっています。今年10月には国指定史跡に指定されました。
恵美須ヶ鼻造船所跡
丙辰丸
全長25 m、安政3 年(1856)進水
藩の主力艦として海軍の練習と国産交易に利用
庚申丸
全長44 m、万延元年(1860)進水
文久3 年(1863)5 月、下関海峡で米商船ペンブローク号に砲撃
翌月、米ワイオミング号の報復攻撃により撃沈
3.韮山エリア
唯一現存する反射炉の完成形
韮山エリアは時代順に第3番目のエリアで、静岡県伊豆の国市にあり、江戸時代には世襲代官、江川太郎左衛門が治めていました。構成資産は韮山反射炉で、36代当主である英龍が海防用の鉄製大砲鋳造のために築きました。
韮山反射炉は、鉄製大砲を鋳造した反射炉として国内に唯一現存するもので、萩反射炉が1基2炉であるのに対し2基4炉あり、鉄製大砲を鋳造するのに十分な量の鉄を鋳造しました。築造にあたっては西洋の書物を基に日本の伝統技術が利用されたほか、佐賀藩との技術交流も行われました。他の反射炉も含め、その築造は日本の産業史の転換期となり、これにより世界の近代製鉄技術史に初めて日本が登場することとなりました。
韮山反射炉
安政4年(1857)完成