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平成27年の世界遺産登録を目指して4 萩エリア・大板山たたら製鉄遺跡/釜石エリア/佐賀エリア

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年1月24日更新

明治日本の産業革命遺産ロゴマーク

 「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」は、平成27年6月頃に開催されるユネスコ世界遺産委員会で、世界遺産登録の可否が決定されます。
 この遺産群は九州・山口を中心に8県11市に28資産あり、時代に沿った8つのエリアと萩市内の5資産を5回にわたり紹介します。
 

1.萩エリア

萩の産業遺産群

 萩エリアは時代順に1番目のエリアで、萩城下町、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、松下村塾の5つの資産で構成されます。

(4)大板山たたら製鉄遺跡

産業化を支えた匠の技術

 福栄地域の紫福地区にある山の口ダムの先に、大板山たたら製鉄遺跡があります。
 日本の伝統的な製鉄方法であるたたら製鉄(砂鉄を木炭で燃焼し鉄を得る方法)の遺跡が、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の資産となっている理由は、恵美須ヶ鼻造船所で建造した1隻目の西洋式帆船「丙辰丸」を建造する際に、大板山たたらで製鉄されたものが船釘などに利用されたことが、古文書で確認できたからです。
 このように産業化の初期の現場では、江戸時代に培われた在来技術を利用して、西洋技術を実現化するための試行錯誤が行われました。萩反射炉についても、地元の石工の技術があったからこそ、あのような安山岩による石積みができ、その上部の煉瓦は小畑焼の登り窯の技術を利用して築造されたと推測できます。つまり江戸時代の高度な匠の技術が基盤となってその後の急速な産業化が実現し、また現在のものづくり大国日本の出現を成し得たと言えます。
 大板山たたら製鉄遺跡が現地に設置されたのは、周りに炭の原料となる豊富な山林があったからです。現地では宝暦期(1750~64年のうちの8年間)、文化・文政期(1812~22)、幕末期(1855~67)の3回、稼働しており、発掘調査によって製鉄炉である高殿と呼ばれる施設などの生産遺構が残っていることが確認されています。

大板山たたら製鉄遺跡
左側が高殿跡、手前が給水関連施設跡、
右手前が砂鉄洗場跡、右手奥が鉄池(鉄を冷ます池)跡

  原料の砂鉄は、北前船を利用して伊野村(島根県浜田市)から奈古港(阿武町)へ運ばれ、そこから馬を使って大板山たたらへ搬入されました。恵美須ヶ鼻造船所への鉄の輸送は、同じ道を馬で運び出し、奈古港から船で恵美須ヶ鼻造船所へ運ばれたと考えられています(図)。

鉄の輸送ルート図

 大板山たたら製鉄遺跡は、県内最大級のたたらの遺跡であり、江戸時代中期以降に萩藩内で展開されたたたらの典型例として、平成24年9月に国の史跡に指定されました。

  

4.釜石エリア

初めて鉄の連続生産に成功

 釜石エリアは時代順に第4番目のエリアで、岩手県釜石市にあります。構成資産は「橋野高炉跡及び関連遺跡」で、3基の洋式高炉の遺構のほか、鉄鉱石の採掘場跡や運搬路跡などの関連遺跡も含まれています。
 橋野高炉跡は、鉄鉱石を使った西洋式の高炉技術を導入し、日本の伝統的な製鉄技術と融合して鉄の連続生産に成功した証拠を示すもので、この成功により釜石は、近代日本の鉄鋼産業発祥の地となりました。その際、西洋技術の伝達は薩摩藩から水戸藩を通じて行われ、この成功が後の八幡製鉄所へと至る近代製鉄の完成への流れの発端となりました。

 橋野高炉跡
橋野高炉跡(三番高炉)
安政5年(1858)建造

 

5.佐賀エリア

日本初の蒸気船を建造

 佐賀エリアは第5番目のエリアで、佐賀市の早津江川敷にあります。構成資産は「三重津海軍所跡」で、江戸時代末期に佐賀藩が海軍教育と洋式艦船の修船・造船場として設置した施設の遺構が残っています。
 佐賀藩は歴代、長崎防衛の任にあたっており、藩主鍋島直正は藩独自に洋式海軍の教育と洋式艦船の運用を行うため、三重津にあった船屋を拡張し、施設の整備を行いました。
 整備された乾船渠(ドライドック)は、木杭と板を組み合わせた在来の土木工法による木組み構造で、現存するものとしては国内最古です。日本初の実用蒸気船「凌風丸」もここで建造されました。

三重津海軍所跡
三重津海軍所跡(ドライドックの遺構)
文久元年(1861)頃