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萩の夏みかん

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年8月26日更新

夏みかん

 夏みかんは日本原産の柑橘類で、文化年間初頭に入ってからもたらされ、ゆずの代用として利用されていましたが、幕末頃にたまたま夏に収穫し食したところ美味しかったため夏にも食べられるようになりました。

 萩市で夏みかんの本格的な栽培や販売が始まったのは、明治時代のことで、文久3年に藩庁が萩から山口に移ったことに加え、明治政府樹立後の士族の給禄奉還が萩に残された武士たちの苦境に追い打ちをかけていたところ、萩に帰郷していた新政府の要職を歴任した小幡高政(おばた たかまさ)が廃屋同然となった侍屋敷に種を蒔き、苗木を士族たちに配布しました。それにより明治22年には、夏みかんの果実と苗木の収益が当時の萩の財政を追い越すまでとなり、萩の街全体に夏みかんの畑が広がりました。

 また、夏みかんの花が咲く頃には、萩の街にある夏みかんの木からふわっと花の香りが漂い、あたりが良い香りに包まれます。それにより、大正15年5月、当時の皇太子、後の昭和天皇が萩にお見えになった時、「この町には香水がまいてあるのか」といわれたほど、夏みかんの栽培は最盛期でした。この夏みかんの香りが、平成13年に全国の「かおり風景100選」に選定され、それに伴って山口県の県花にも選定されました。

 因みに、日本で最初に夏みかんのマーマレードを作ったのは、福沢諭吉です。明治26年に福沢諭吉のもとに送られてきた夏みかんを美味しく食べ、皮を利用して作った旨が、萩藩医家出身の松岡勇記(大阪にあった適塾の同窓生)あての礼状に記されています。
夏みかん(写真)

 

 〇直近の出荷量及び販売金額 

 
  出荷量(t)
令和4年 令和3年 令和2年
青果 2.9 15.8 11.2
缶詰用(加工) 38.2 54.4 35.9
果汁用(加工) 86.5 71.9 13.0

 

 
  販売金額(円)
令和4年 令和3年 令和2年
青果 921,348 2,997,432 2,485,836
缶詰用(加工) 1,446,001 2,353,839 1,551,485
果汁用(加工) 2,737,055 2,456,967 4,365,182

※加工柑:夏柑と甘夏(普通甘夏・新甘夏・紅甘夏)の合計

 

JA山口県 萩統括本部"受託販売実績"より引用