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なるほど 花燃ゆ その3 ~ 民政や子女教育に尽力した兄梅太郎

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年2月2日更新
おしえて文にゃん
 よき理解者として松陰を支え、仲の良かった兄杉梅太郎は文政11年(1828)生まれ。松陰とは2歳違いで、若い頃はともに父や玉木文之進の指導を受け、玉木が創始した松下村塾や藩校明倫館で学びました。
 嘉永6年(1853)、江戸湾警備のため相模国(神奈川県)に出張。翌年の松陰の密航未遂事件に連座して帰藩を命じられますが、まもなく郡奉行所勤務となります。安政6年(1859)には、松陰の江戸送りに連座し免職されますが、翌年に家督相続を許されて再登用、その後は民政方御内用掛や、明治元年(1868)に、当島・浜崎両宰判の民政主事助役となるなど、、優れた役人として各地の民政に携わりました。
 明治2年には、民政に尽力した功労により、藩主毛利敬親から「民治」
の名を拝領します。
 廃藩置県後は、山口県権典事などとして出仕しますが、退職後には閉鎖されていた松下村塾を再興し、子弟の指導にあたりました。また、晩年は萩私立修善女学校長となるなど、子女の教育にも努めました。
 弟松陰の志を伝え続けた梅太郎は、明治43年、83歳で亡くなります。