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なるほど 花燃ゆ その5 ~ 素彦の最初の妻 寿

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年2月2日更新
おしえて文にゃん
 杉寿(寿子)は、天保10年(1839)、百合之助の次女として、松本村の団子岩で生まれます。兄松陰とは9歳、妹の文とは4歳違いです。
 嘉永6年(1853)、15歳の寿は、25歳の小田村伊之助(楫取素彦)と結婚。安政元年(1854)に長男篤太郎(希家、小田村家を継ぐ)、安政5年に次男久米次郎が生まれます。
 元治元年(1864)12月、椋梨藤太らにより素彦が野山獄に投獄されたときには差し入れのため獄を訪れて、また慶応2年(1866)の四境戦争のときにも幕府軍が迫るなかでも気丈に振る舞うなど、烈婦として評判が高かったと伝えられます。
 一方、浄土真宗の熱心な信者だった寿は、明治初年、夫と三隅村二条窪(現長門市)に隠棲した際、小堂を建て村民向けに法話を開きます。また、素彦が群馬県令になると、前橋を中心に浄土真宗の布教に努め、説教所の開設に尽力するなど、県民の教諭の面で夫をよく支えました。
 また生糸の直輸出を図る新井領一郎が渡米する際には、松陰の形見である短刀を渡し、兄の渡海の夢を託したエピソードは有名です。
 明治14年(1881)健康がすぐれずに死去、享年43歳でした。