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なるほど 花燃ゆ その6 ~ 文と玄瑞・素彦をつなぐ「涙袖帖」

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年2月2日更新
おしえて文にゃん
 明治16年(1883)、文が素彦と再婚する際に持参した、久坂玄瑞からの手紙。素彦は、かつての同志だった玄瑞の手紙を快く受け入れ、遺墨を袖に涙しながら、整理、装丁をして3巻の巻物に仕立てたことから、「涙袖帖」と名付けたとされています。
 現在、楫取家には「涙袖帖」の実物は、手紙6通が収められた1巻だけ残っています。しかし、「楫取家文書」(東京大学出版会)によれば、かつては3巻あり、全部で21通収録されていたようです。これを収めた木箱には、「涙袖帖」と箱書きされています。
 一緒に暮らすことが短かった2人ですが、玄瑞は、旅先から文にしばしば手紙を送り、近況を知らせていたようです。概ね共通するのは、「手紙を何通ももらいありがたい、自分は忙しくしているが無事なので安心して欲しい」と伝えていることです。
 また、文久3年の八・一八政変の際には、実に口惜しく、残念であるという内容の手紙が残されており、京都から追放されたことの悔しい思いが込められた様子を文に書き送っているなど、尊王攘夷派のリーダであった玄瑞の感情が、手紙の活字からも伝わってくるようです。