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なるほど 花燃ゆ その7 ~ 松陰の「至誠」を引き継いだ素彦

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年2月2日更新
おしえて文にゃん
 松陰の好んだ、「至誠にして動かざる者未だ之れあらざるなり」という有名な言葉。「孟子」から採られた言葉で、真心に接して感動しない者は、いまだかつてこの世に存在しない、という意味で、松陰はこの「至誠」を信念としていました。
 松陰はこれが冒頭に書かれた「小田村伊之助に与う」と題する言葉を、安政6年(1859)5月18日、安政の大獄で江戸送りとなる直前に素彦に贈り、松下村塾の後事を託しました。素彦は松陰から贈られた、「至誠」という言葉を大切にし、「難治県」といわれていた群馬県令時代の県政も、至誠をもって善政に励みます。握り飯に草履で巡視するなど、故郷山口県と同じ思いで、県民と苦難をともにする姿に、住民も敬い慕ったと伝わります(「耕堂楫取男爵伝記」より)。群馬を去るときに有志が贈った送別の辞に、至誠をもって県民に接した、とこの言葉が使われていることからも、素彦が「至誠」をモットーとして県政にあたっていたことがうかがえるのではないでしょうか。
 文の大切な2人、松陰から素彦に「至誠」の思いが引き継がれたエピソードとなっています。