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第5話「志の果て」キーワード

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年2月13日更新

松陰誕生地銅像野山獄・岩倉獄

 安政元年(1854)、海外渡航に失敗した松陰は、士分の者を収容する上牢の野山獄へ、また金子重之助は庶民を収容する下牢の岩倉獄へと投じられました。松陰はそこで仲間の囚人たちに孟子の講義など、前例のない教育活動を行いました。現在は、敷地の一部を保存して記念碑などが建てられています。
 写真は松陰誕生地にある、松陰と金子重之助の銅像。

  → 「萩・文ゆかりの地」(野山獄・岩倉獄)へリンク

 

海国図志(かいこくずし)

 松陰は野山獄に入獄して、約2か月で100冊もの書物を読んだといわれています。
松陰が第5話で獄に差し入れて欲しいと家族に願った書籍の一つ、海国図志は、1842年、清国で刊行された世界地理書。原著者はアメリカのブリッジマンで、清の魏源が編集した、60巻24冊本(1852年に百巻本に増補)。中国から輸入された多くの書籍のなかで、当時の日本人に多く読まれ、影響を与えた書籍で、事実松陰も読んだと記録が残っています。日本へは、嘉永4年(1852)に60巻本3部が伝えられ、安政元年(1854)には和訳本などが刊行されました。(参考:国史大事典)
 このほか、「蒙求(もうぎゅう)」(伝統的な中国の初学者向け教科書。日本には16世紀に伝来)、「延喜式(えんぎしき)」(平安時代の法令集、全50巻。三代式の一つ。延喜5年(905)に藤原忠平らが醍醐天皇の命で編集)なども希望します。ドラマでは、「海国図志」だけ揃わず、文から頼まれた伊之助が、江戸で桂小五郎から1冊手に入れていましたが、海国図志は全60巻、さらに刊行されたばかりなので、ドラマでも入手は困難だったのでしょう。
 第8話では、本屋に高杉小忠太が晋作のために取り寄せた「海国図志」が届いていましたが、さすがに大組の高杉家というところでしょうか。