【第3回】 旧湯川家屋敷



     藍場川は、その上流部の川島においては、溝川と呼ばれています。これに対して、阿武川や橋本川、松本川は大川と呼ばれています。藍場川が自然の大きい川とは異なり、人工の川であるということが、その呼び名からも分かります。
     かつての溝川は、水深が深く、水量が豊かで、何よりも水がきれいだったそうです。人々は、溝川の水で米を研ぎ、食物や食器を洗い、洗顔をし、洗濯をし風呂水にも汲んでいました。溝川沿いの家々では、溝川の水が大切な生活用水として使用されていました。
     旧湯川家屋敷は、そのような溝川の最上流部、樋番小屋が設けられていた場所の程近くにあります。川沿いに建てられた建物で、藍場川の景観を紹介する際に、必ずといって良いほど取り上げられます。
     この旧湯川家屋敷は、川に沿って長屋門があり、その奥に主な建物が建っていることから、武家屋敷と考えられています。幾度か改築がなされているようですが、主な建物の建築年代は、明治時代初めまではさかのぼると考えられています。
     旧湯川家屋敷では、溝川の水を利用する様様な工夫がなされています。例えば、溝川沿いに築かれた石垣に取水口を設け、屋敷内部の庭の池に水を引き込んでいます。そして、池から建物内部の台所に水路を設け、池を巡った水が、台所内のハトバを流れ、その後に溝川へ出るようにしてあります。
     ここで言うハトバとは、洗い物をしたり水を汲んだりする場所のことです。旧湯川家屋敷では、川沿いの長屋門内の風呂場にもハトバが設けられています。そこでは、直接溝川の水を汲み上げることができます。このように旧湯川家屋敷では、屋敷地内の建物内部にいつでも川の水を利用できる場所があるのです。
     旧湯川家屋敷は、1993年に東京在住の所有者(ご子孫)から萩市に寄贈されました。藍場川の水の利用方法を知る上で、大変に貴重な存在ということで「史跡旧湯川家屋敷」に指定され、永く保存されることになりました。

    (市報はぎ1996年6月15日号掲載)