【第8回】 竹内八郎歌碑



     善福寺から100メートルほど行くと、藍場川が小さな溝と分流する地点があります。ここには大きな桜の木があり、その下に竹内八郎の歌碑が建っています。この歌碑には、「家ごとに池を構えて水を引き朝夕清き藍場川流る」と、藍場川の情景が歌われています。今でも藍場川沿いの家々には、藍場川から水を引き入れた池のある庭が見られます。藍場川の水を利用して生活に潤いを求めた、先人たちの知恵がうかがえます。なお、竹内八郎は浜崎町に生まれ、萩に在住した歌人です。山口県内外の歌会の選者として活躍し、『あらつち』の主管として短歌誌の発展に尽力しました。この歌は昭和41年(1966)の作で、歌碑は昭和48年に建立されましたが、その翌年八郎は74歳で亡くなりました。
     ところで、ここの桜の木の下には木製の涼み台とベンチが置かれ、藍場川がもたらす風の匂いを感じさせる、恰好の涼み場所となっていました。また、川の中には、ホタルの幼虫の餌になるカワニナが生息しています。かつては、季節になるとホタルがたくさん飛び交っていたということで、ホタル狩りで藍場川沿いを大勢の人が散策していたそうです。しかし今では、ホタルは数える程しか富んでいないそうです。カワニナだけでなく、昭和30年代まではシジミも数多く生息していたそうで、食料として1年中とることができたということです。さらに、ウナギをとったり、アユやテナガエビや海から上ってきたボラを網ですくったりすることもできたそうです。藍場川は多くの魚たちの生息場所ともなっていましたので、英語で「魚とりの大様」と称された宝石のように華麗な水鳥、カワセミが頻繁に飛んで来ていたそうです。
     このように自然環境に恵まれた藍場川では、子供たちが泳いだりする光景が普通に見られ、水と親しむ遊びの空間でもありました。

    (市報はぎ1996年11月15日号掲載)