【第9回】 弁天橋



     竹内八郎歌碑のある場所から50〜60メートルほど行くと、八丁川島の通りとの三差路に出会います。ここを左に曲がってしばらく行くと、藍場川と八丁川島とが交差する地点にコンクリート製の小さな橋が架かっています。この橋が、弁天橋です。弁天橋の由来は幕末期に著された『八江萩名所図絵』に記されています。それによると、昔この辺りに連貞という尼さんの庵があったそうです。それゆえ連貞橋と呼んでいたのを、いつのまにか言い誤って弁天橋と呼ぶようになったということです。『八江萩名所図絵』の挿絵を見ますと、当時は欄干のついた石橋であったことが分かります。
     ところで、現在藍場川には、100余りの小さな橋が架かっています。そのうち、3分の1にあたる30余りの橋が石橋となっています。石橋のなかでも、荷物を積んだ川舟が通りやすいように道路よりも高く持ち上げた石橋がいくつか残っています。特に、萩市の史跡に指定されている「旧湯川家屋敷」前の石橋は、その構造をよく伝えています。また、国道262号近くの藍場川には1本の細長い石材を渡し、ちょうど平均台のように1人がやっと通れるくらいの、幅の狭い石橋も見られます。そのほか、花崗岩を磨いた、白い石橋も目立ちます。このように、変化に富んだ石橋の形や色をウォッチングしながら、藍場川沿いを散策するのも楽しいものです。

    (市報はぎ1996年12月15日号掲載)