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萩博物館収蔵品紹介
 

幕末志士たちの手紙展

展示案内
※資料名のうしろに表示した( )内の数字は、展覧会出品目録の番号に対応しています。
 
目次
T.吉田松陰特集
U.山根正次が描く志士の系譜
V.「維新の元勲」と山根正次
W.山根正次と長州ファイブ
X.山根正次
Y.幕末維新遺墨ブーム
 
 
T. 吉田松陰特集
 
 長州の志士で、誰しもがまっさきに思い浮かべるのは吉田松陰であろう。萩の人々はいまなお「松陰先生」と呼ぶが、おそらく山根正次も、長州の偉大な先輩として松陰を尊敬し、積極的に手紙そのほかの遺墨を収集したのに違いない。
  現に「山根正次コレクション」では、松陰の遺墨は久坂玄瑞の7点についで2番目に多い6点を数える。これまで活字でしか見ることのできなかった貴重な松陰の遺墨を、5点まとめて展示する。
 
 
太華山県先生に与えて講孟箚記の評を乞う書(1)
太華山県先生に与えて講孟箚記の評を乞う書(1)
 
 
暢夫の「煙管を折るの記を読む」を評す(4)
暢夫の「煙管を折るの記を読む」を評す(4)
 
 
吉田松陰書簡(5)
吉田松陰書簡(5)
 
 
 
 
 
 
 
 
U.山根正次が描く志士の系譜
 
 山根正次旧蔵の巻物の一つひとつをひも解いていくと、集めた遺墨に対する彼の思いが伝わってくる。なかでも21点の遺墨を貼りこんだ長尺の巻物は圧巻である。
  「海防の先覚者」と称される林子平にはじまり、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた頼山陽と藤田幽谷が続く。さらには洋学者の佐久間象山を経て、長州の吉田松陰・久坂玄瑞・高杉晋作・木戸孝允などがつらなる。山根正次が描き出そうとした幕末の思想家・志士たちの系譜に迫ってみよう。
 
高杉晋作書簡(20)
高杉晋作書簡(20)
 
 
木戸孝允書簡(21)
木戸孝允書簡(21)
 
 
周布政之助書簡(28)
周布政之助書簡(28)
 
 
久坂玄瑞書簡(29)
久坂玄瑞書簡(29)
 
 
山県有朋書簡(31)
山県有朋書簡(31)
 
 
長州萩江城之図(34)
長州萩江城之図(34)
 
 
高杉晋作・久坂玄瑞詩書扇面貼交(37)
高杉晋作・久坂玄瑞詩書扇面貼交(37)
 
     
 
V.「維新の元勲」と山根正次
 
 天保年間(1830〜1843)に生まれた「維新の元勲」の世代から、およそ20年遅れてこの世に生を受けた山根正次。彼は意識的に集めた志士の遺墨のほか、自分が受け取った元勲らからの手紙も、後世に伝えられるよう巻物に仕立てている。
 薩摩出身で4代首相の松方正義にはじまり、長州出身で初代外相の井上馨が続く。さらに青木周蔵や野村靖、桂太郎などそうそうたる顔ぶれである。手紙を書く行為がごく普通の時代に生きた、山根をとりまく人物群像を垣間見ることにしよう。
 
 
松方正義書簡(42)
松方正義書簡(42)
 
 
井上馨書簡(43)
井上馨書簡(43)
 
 
青木周蔵書簡(46)
青木周蔵書簡(46)
 
 
桂太郎書簡(49)
桂太郎書簡(49)
 
 
西園寺公望・福島安正・山根正次外書画寄書(58)
西園寺公望・福島安正・山根正次外書画寄書(58)
 
 
W.山根正次と長州ファイブ
 
 幕末、長州藩は5人の秘密留学生(長州ファイブ)をイギリスに送り込んだ。その名は井上聞多(馨)・伊藤春輔(博文)・野村弥吉(井上勝)・遠藤謹助・山尾庸造(庸三)。彼らは西洋の文明、技術を持ち帰り、日本の近代化に貢献した。
  最近では映画化もされ話題を集める「長州ファイブ」だが、山根正次にとっては同郷の先輩であり、身近な存在だった。あるいは、ドラマチックな留学秘話を直接聞く機会があったかも知れない。ここではその親交の一端を示す史料を展示する。
 
 
山尾庸三書簡(65)
山尾庸三書簡(65)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
X.山根正次
 
 幕末志士の手紙コレクションを築いた山根正次(号・殿山、1857〜1925)は萩の人。東京大学医学部を卒業し、コレラ菌研究などに大きな功績を残す。明治35年には衆議院議員に当選。日本医科大学創立にも関与した。大正14年、69歳で没した。
  山根の父孝中は松下村塾で吉田松陰に師事し、戊辰戦争にも軍医として従った。山根は父の同志であった長州出身の元勲たちとも交流があり、遺墨を収集するには最も恵まれた環境にあったと言える。
 
山根正次詩書(70)
山根正次詩書(70)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Y.幕末維新遺墨ブーム

 
 明治の終わりごろより、幕末維新に活躍した人物の書や手紙の鑑賞、収集が流行した。各地で展覧会が開催され、遺墨集の出版が相次ぎ、人々は半世紀前の維新に思いをはせた。
  山根正次はこうした展覧会や遺墨集に、たびたび所蔵品を提供している。長州先賢の遺墨コレクターとして、山根は第一人者であり、パイオニア的存在でもあった。以後、こうしたブームは続くが、戦後の価値観の変動により衰退してゆく。