萩まちじゅう博物館構想

1.萩の歴史と都市遺産

慶長5(1600)年の関ヶ原の戦に敗れた毛利輝元は防長2ヶ国に移封され、慶長9(1604)年、萩に開府しました。以来260年余り、萩は毛利36万石の城下町として発展し、また幕末期には近代日本の夜明けを告げた人々を輩出する明治維新胎動の地ともなりました。

萩には、この毛利藩政期260年間に形成された城下町のたたずまいが都市遺産となって今日まで継承されており、日本で唯一の「江戸時代の地図がそのまま使えるまち」となっています。萩の城跡や武家屋敷、維新の志士の旧宅、寺院などは日本を代表する貴重な文化財です。更に、その傍らで近世そのままの空間が市民によって住みこなされ、いたる所に息づいていることこそ、優れた「都市遺産」であると言えます。

こうした面的に広がる都市遺産に対し、堀内・平安古・浜崎の重要伝統的建造物群保存地区をはじめ、東光寺及び吉田松陰生誕地付近や藍場川周辺等の歴史的景観保存地区などについては、これまでも貴重な歴史・文化資源として維持、保存が図られてきましたが、それらもまだ貴重な遺産の一部に過ぎません。萩のまちには、観光客も、そしてもしかすると萩市民でさえ気づいていない、すばらしい都市遺産が眠っていると私たちは考えています。

2.都市遺産・萩の現状と課題

(1) 失われていく風景、混乱する景観

現在、この都市遺産・萩を物語る「土塀から顔を出す夏みかん」、「古い町家が続くまちなみ」、「萩の歴史を見守ってきた松の古木」といった代表的な風景が、都市化の波により徐々に失われつつあります。

都市遺産・萩のまちは、江戸時代の武家屋敷や町人町、寺町や港町そして豊かな田園景観を基盤としつつ、明治、大正、昭和初期にかけ、手づくりで築かれ継承されてきたものです。大量生産建材や工業生産塗料を用いることのなかったそれら時代の景色は、土塀や建物の白漆喰壁と黒瓦の無彩色を除けば、あとは建物、石垣、庭園の木・緑・石・土の自然色の世界でした。そこではダイダイの実のオレンジ色がどれだけ鮮やかだったことでしょう。

しかし、残念なことに現在の萩のまちには、様々な人工色が溢れ、商用看板が氾濫しています。「萩のまち」の保存運動を展開していく上で、望めば意のままに色やデザインを選択できる現代でこそ、都市遺産・萩にふさわしい選択が何であるかを、行政そして市民一人一人が常に考えて行動することが求められています。

(2) 「萩学」の探求

萩には、大井の円光寺古墳に代表される古代から、藩政期の260年間、そして近代を経て現代にいたる長い歴史があります。それを物語るように、40もの国指定文化財をはじめ、120を超える指定文化財、3つの国選定重要伝統的建造物群保存地区が分布しています。しかしながら、この長い歴史の中で生まれた様々な物語や出来事が、次第に語り継がれなくなりつつあります。

2004年11月に開館した萩博物館は、こうしたまちじゅうにある文化財の中核施設としての役割とともに、萩の歴史を語り継ぐための情報拠点としての役割を担うことが期待されています。更に今後は、この萩博物館と協働しながら市民一人一人が萩の歴史をしっかり語り継ぐとともに、その歴史や風土のなかで育まれた「萩が萩であることの意味やその拠り所となる考えや生活・行動様式」、すなわち「萩学」を探求することが必要です。

(3) 観光資源・観光インフラの整備

2004年、萩市は萩開府400年を迎え、萩博物館の建設とともに、北の総門復元や外堀、旧久保田家、郡司鋳造所遺構などの文化財及び関連施設の整備、また萩始まって以来の大規模な埋蔵文化財の発掘調査を展開しています。また一方で、萩への高速道路の建設も着手されており、市内各所では大規模な観光用駐車場整備も予定されています。こうした新しい観光資源や観光施設、観光アクセスが生まれようとするなか、これらを使いこなすことのできる新たな観光地・萩の姿が模索されています。

3.萩まちじゅう博物館

前述のような、萩の希有(けう)な風景や景観が他都市同様に失われていくのを防ぐには、その無二の価値が、行政や市民だけでなく、この地を訪れる人々を通してより広く共有され、その上で世界的遺産とも言える「萩のまち」の保存運動を展開していく必要があります。これはとりもなおさず、他地域、諸外国の人々と質の高い文化交流ができる新たな観光のあり方が問われていることを意味します。

そのためには、「萩学」を支柱とした萩博物館や市民の活動による都市遺産・萩の再発見を進め、まちじゅうに輝きを取り戻すことが必要です。そして、それら光を取り戻した遺産を舞台として、市民が主(あるじ)として胸を張り、客を迎え入れる主客交流(観光)を実現させなければなりません。主として訪ね来たる客が何を求めているかを知り、しっかりと迎え入れもてなす体制を整えること、それが新たな観光地づくりへの挑戦となります。

こうしたまち全体を博物館ととらえる観光地づくり、まちづくりの取組みを「萩まちじゅう博物館構想」と名付け、以下に述べる諸計画を実現することによって、萩の更なる魅力づくりの展開と活性化を図ります。

(1) 研究・保存

萩の資源であり魅力である歴史や文化はもとより、自然、産業、暮らしを研究し、歴史的環境や自然環境が破壊されるのを未然に防止する方策を探求するとともに、市民と市が一体となり、愛着、誇りをもって保存運動に取組みます。また、広く他地域、諸外国の人々にも理解を得ながら賛同者の輪を広げ、その信託(トラスト)によって土地や建物などの保全・保存・修復などを進めていきます。

(2) 展示・情報発信・活用

保全・保存された歴史的環境及び自然環境を、現地において、その価値を損なわないように正しく展示します。更にそうした情報を発信することにより、市民が萩を再発見し、その新たな価値を見出し活用できるしくみを創り出します。

(3) 拠点整備と周辺整備

まちじゅう博物館の中核施設として、萩博物館を整備するとともに、地域にある資源を地域博物館として整備し、ネットワークで結びます。また、全国から萩、萩博物館から地域博物館、地域博物館から地域博物館などを結ぶアクセス道路と、地域博物館の周辺には歴史・文化・自然の探索路として発見の小径を整備します。

(4) 「心のふるさと・萩」のおもてなし

萩にはいつも変わらないという安心感があります。いわば日本の「心のふるさと」なのです。この「心のふるさと・萩」を訪れた人々が「もう一度萩に行きたい」と思うような、そして彼らを迎え入れた市民が「萩に住んで良かった」、「萩を終(つい)の住処(すみか)にして良かった」と日々思えるような、そんなおもてなしをまちじゅうで推進します。

萩まちじゅう博物館構想パンフレット(PDF)

萩まちじゅう博物館構想パンフレット

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2020年3月10日更新