ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
ホーム > 組織一覧(部署名をクリックで詳細) > 文化財保護課 > 「大板山たたら製鉄遺跡」の国史跡指定に係る国の文化審議会の答申について

「大板山たたら製鉄遺跡」の国史跡指定に係る国の文化審議会の答申について

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年6月16日更新

1.要旨

 国の文化審議会(会長 宮田亮平)は、6月15日(金曜日)に開催される同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、史跡名勝天然記念物の新指定14件、追加指定等24件、登録記念物の新登録3件、重要文化的景観の新選定4件、追加選定1件について、文部科学大臣に答申しました。

 萩市からは大板山たたら製鉄遺跡(おおいたやまたたらせいてついせき)が国史跡に新規指定される予定です。

 萩市内の史跡の新規指定は、平成元年9月22日指定の「萩往還」以来で、国史跡は1件増えて13件となります。 

2.指定対象の所在地

  山口県萩市大字紫福字大板257番1外 2筆等

3.指定等の対象地域の面積 

  7,077.00 平方メートル

4.史跡大板山たたら製鉄遺跡の概要

 大板山たたら製鉄遺跡は、江戸時代中期から後期にかけての製鉄遺跡であり、山口県萩市中心部から東方の内陸部、大井川の支流山ノ口川の最上流部の平坦地に所在する。3期の操業が知られ、第1期は宝暦年間(1761~1763)、大板山で林業を営む阿川六郎兵衛が津和野の技術者を迎えて操業し、第2期は文化・文政期の10年間(1812~1822)、津和野の原田勘四郎が操業しました。第3期は、東石見の鉄山師・高原竹五郎が幕末期の安政2年(1855)に操業を開始しました。この間、安政3年に萩藩が恵美須ヶ鼻造船所で萩藩最初の洋式軍艦「丙辰丸」を建造するに際して、船材の原料鉄を供給し、文久3年(1863)からは産鉄すべてが萩藩により買上げられました。

 福栄村(現萩市)教育委員会が発掘調査を実施した結果、製鉄炉を擁する高殿(たかどの)、鉄塊を冷却する鉄池(かないけ)、事務所である元小屋、砂鉄洗場、米蔵、小鍛冶場等の遺構を検出し、鉄釘や和鋏(わばさみ)といった鉄製品等が多数見つかりました。大板山たたら製鉄遺跡は、18世紀以降、萩藩内に展開した石見系たたらの典型例であり、高殿遺構をはじめとする生産遺構が良好に遺存し、我が国近世の製鉄業の展開を理解する上で貴重なものです。

高殿跡
高殿跡(北から撮影)

元小屋跡
元小屋跡(北から撮影)

高殿跡南西
高殿跡(南西から撮影)

鉄池
鉄池(南から撮影)

5.指定の経緯

 ・昭和63年11月25日 山口県史跡指定

 ・平成2年度~平成6年度 発掘調査

 ・平成5年度~平成8年度 史跡整備

6.たたら遺跡について

○石見系たたらの特徴

 中世から江戸初期までのたたら製鉄は、主に野外で臨時的に製鉄が行われる場合が多かったですが、石見系たたらは、恒久的な製鉄炉を持つ「高殿」という建物を中心にして長期間継続して行われる「永代たたら」です。これによって生産量、品質が格段に進歩しました。一方、このたたら製鉄では大量の燃料を必要とするため、豊かな森林を持つ萩藩領に展開したものと思われます。

○県内のたたら遺跡 

 阿武郡阿武町大字惣郷にある「白須たたら製鉄遺跡」(昭和57年3月23日指定)が国史跡に指定されています。

 大板山たたら製鉄遺跡と白須たたら製鉄遺跡を比較した場合、全体、主要部分ともに大板山たたら製鉄遺跡の規模が大きく、県内でも最大規模です。しかし、大板山たたら製鉄遺跡は下小屋、墓地等、全体の約半分が山の口ダムによって水没しているため、指定面積では白須たたら製鉄遺跡の方が広大となっています。

7.その他

 文化審議会の答申を受け、平成24年9月ごろに官報告示され、国史跡に指定される予定です。

8.アクセス

 ○萩市街より車で約40分

 ○駐車場あり(5台程度)

 ※道が狭隘なため大型車は通行不可

福栄地域地図