上三原の田植ばやし保存会が令和5年度地域文化功労者表彰(文部科学大臣表彰)を受賞
印刷用ページを表示する 掲載日:2023年11月9日更新
長年の保存継承の取組が評価
萩市須佐地域で長年にわたり、田植ばやしの伝統芸能を保存し、後世に伝えている上三原[かみみはら]の田植ばやし保存会(会長 村岡一志[むらおかかずゆき])が、文部科学大臣が表彰する「地域文化功労者表彰」を受賞しました。この表彰は、芸術文化の振興や文化財の保護等、地域文化の振興に功績のあった個人及び団体に対して、その功績をたたえ表彰するものです。
上三原の田植ばやしの歴史的背景と文化的価値
上三原の田植ばやし保存会が伝承する田植ばやしは、関ケ原合戦後、毛利氏に従って元石見国益田の領主だった益田氏が須佐に移封された折に同行し、移住した農民が伝えたものといわれています。
この踊りは、農民が田植えを行う際に、豊作を祈願したもので、秋の祭礼にはその初穂を氏神様に供えるという地域の伝統を今に受け継ぐものです。途中、時代の変化により一時期中断されましたが、明治時代後期に氏神様の神穀田の植付けの時の芸能として復活しました。
稲の手植えが見られなくなった今日ですが、400年という長きにわたり、踊り伝えられた庶民色豊かで素朴な踊りは大変貴重なものです。
この踊りは、農民が田植えを行う際に、豊作を祈願したもので、秋の祭礼にはその初穂を氏神様に供えるという地域の伝統を今に受け継ぐものです。途中、時代の変化により一時期中断されましたが、明治時代後期に氏神様の神穀田の植付けの時の芸能として復活しました。
稲の手植えが見られなくなった今日ですが、400年という長きにわたり、踊り伝えられた庶民色豊かで素朴な踊りは大変貴重なものです。
上三原の田植ばやし保存会のこれまでの功績
保存会は、この伝統芸能を保存し、後世に伝えることを目的として、昭和46年に発足し、昭和47年には阿武郡須佐町(現在は萩市)無形文化財に、昭和51年には山口県無形民俗文化財として指定されました。(現在の会員は22名。)
過疎化や少子高齢化等による社会環境の変化等により、地域に伝承されてきた多くの伝統芸能の保存・継承が危ぶまれる中で、発足されてから今日に至るまで、この伝統の保存・継承に努めています。
これまで、市内外のまつりやイベントに出演するとともに、中国四国ブロック民俗芸能大会へ県代表として出演するなど、文化財に対する理解と愛護思想の普及に貢献しています。
また、平成10年から、後継者育成と地域学習活動の一環として地域の小学生に田植ばやしの実技指導を開始しました。平成12年には、衣装を取り揃えた「こども田植えばやし」の誕生に貢献し、以来、保存会の熱心な指導により、地元小学校の伝統行事として定着するなど、次世代への継承に努めています。
平成25年に萩市須佐地域を襲った山口県北部豪雨災害や昨今のコロナ禍にも、田植えばやしを披露し、お囃子の音を響かせて、地域住民に元気を届けています。
過疎化や少子高齢化等による社会環境の変化等により、地域に伝承されてきた多くの伝統芸能の保存・継承が危ぶまれる中で、発足されてから今日に至るまで、この伝統の保存・継承に努めています。
これまで、市内外のまつりやイベントに出演するとともに、中国四国ブロック民俗芸能大会へ県代表として出演するなど、文化財に対する理解と愛護思想の普及に貢献しています。
また、平成10年から、後継者育成と地域学習活動の一環として地域の小学生に田植ばやしの実技指導を開始しました。平成12年には、衣装を取り揃えた「こども田植えばやし」の誕生に貢献し、以来、保存会の熱心な指導により、地元小学校の伝統行事として定着するなど、次世代への継承に努めています。
平成25年に萩市須佐地域を襲った山口県北部豪雨災害や昨今のコロナ禍にも、田植えばやしを披露し、お囃子の音を響かせて、地域住民に元気を届けています。
文化功労者表彰 表彰式について
日時:令和5年11月16日(木曜日) 午後3時30分~4時35分
場所:京都府立府民ホール アルティ(京都市上京区烏丸通一条下る龍前町590-1)
場所:京都府立府民ホール アルティ(京都市上京区烏丸通一条下る龍前町590-1)
全国の受賞者(今年度)
芸術文化分野 54件(個人50名、団体4件)
文化財分野 40件(個人26名、団体14件)
計94件(個人76名、団体18件)
文化財分野 40件(個人26名、団体14件)
計94件(個人76名、団体18件)