見 島


     萩市には、日本海に浮かぶ美しい島じまがあります。これらの島の歴史・文化・産業などをみなさんにご紹介しましょう。
     萩市の沖合約44キロに浮かぶ見島は面積7.73平方キロメートル、平成5年3月31日現在の人口1529人(男773、女756)、世帯数557です。

    【由来】
     古代の開発状況は、文献の上から知ることはできませんが、発掘された文化財はそのほとんどが中世以後のものです。島名の由来についても定かでなく、中世には大津郡に属して「見島郷」または「三島郷」と称されていたことは、神社仏閣などに伝わる「鰐口」銘に記るされています。

    【伝説】
     見島宇津にある観音様は、昔相島に流れていかれたが拾われず、次に見島に流れてこられて拾い上げられたので、このうれしさに観音様は宇津の拾ってくれた人の夢枕に立って「肥しのいらぬつくりをさせる」といわれたという。まこと見島はそのように土質もよく、また雨も植えつける前に降っていれば、後には土用に一回降るだけでよくみのるという。
     ところが、大日如来様は見島に流れてこられたが拾われず、相島で拾い上げられたので、相島の人の夢枕に立って「木に不自由はさせないぞ」といわれたという。それで相島では松の木に不自由しないかわりに米に不自由し、見島は米に不自由しないかわりに木に不自由するようになったという。

    【民謡】
     江戸時代の迅津は、北前船の風待ち港として栄え、また流刑地であったことなどから京方面からの遠島者や芸人などが各地の民謡を伝えたものであろうか、見島は民謡の宝庫ともいわれる。
    市報はぎ平成5年(1993)4月15日号掲載  (山口県の島々より抜すい)

    農林水産物等
    〔農作物〕
     島内で生産される主なものは次のとおりです。特に大根は加工され、独特の風味と歯ざわりをもつ「見島タクアン」は特産品として、本土へ出荷されています。
    ◎水稲、たばこ、大根、玉ねぎ、冬採りキャベツ、麦類、キュウリ、大豆、甘しょ、トマト、馬鈴しょほか
    〔畜産物〕
    ◎豚、鶏、牛
    〔水産物〕
    対馬暖流の影響をうけて魚介類は豊富です。
    ◎たい、ぶり、ひらそ、はまち、とびうお、うに、いか、さざえ、あわび、わかめほか
    〔樹林〕
     温帯林が優越する二次林の島で、原生林に似たわずかの樹林が日崎に残っている以外は、大部分がクロマツ林で、アカマツは中央部の産地に混生している程度で、林野の資源は貧困です。

    見島植樹祭
     島内森林面積213ヘクタールのうち170ヘクタールを占めていた松林が、松くい虫や一昨年の台風による被害で森林としての昨日を著しく低下し、水資源や農地などへの影響が現れはじめました。このため、市では緑化思想の啓発と復旧造林の推進を図るため宇津地区の山に植樹を行いました。
     植樹祭には、地元の人をはじめ見島小学校、中学校の児童生徒約150人が参加して、0.3ヘクタールにスギやヒノキ、ヤマモモなど900本を植林しました。
    市報はぎ平成5年(1993)5月15日号掲載 (一部山口県の島々より抜すい)


    生活習慣
     1月1日、除夜の鐘を聞くと、家の主が若水おけを持って浜へ潮くみに行く。これを「潮水迎え」といい、帰って神棚・仏壇・かま場をはじめ各部屋、戸口から便所までも笹で浄める。ついで歳徳様(東方)に向って、井戸より若水をくみ迎える。この若水で湯を沸かし、まず大福(梅茶)を祝う。小餅を焼き、大福を添えて神棚に供え家内でもいただく。大福を祝うと氏神に初詣する。なお、宇津地区では必ず観音に詣る。つぎにおかんし(祝酒)を祝う。神棚から大福をさげ、神酒を添え家内でいただく。そして雑煮(野菜・豆腐・ブリのすまし汁に小餅を入れる)を供えるとともに、また家内でもいただく。

    遺跡等
    〔ジーコンボ遺跡〕
     島の南東部にあたる横浦海岸一帯の長さ約300メートル、幅50メートルから100メートルの範囲には、積石塚の古墳群が分布しており、その数はおよそ200基に達するものと推測されている。この「ジーコンボ」と呼ばれる古墳群は、7世紀後半頃から10世紀はじめ頃に築造されたものといわれ、石室の構造は、地面を掘り下げて造られており、大きさは様ざまで、およそ四種類に大別されるが、全長約3メートル、中央の幅は約1.2メートルのものもあり、天井石が載せられている。これらの古墳より出土した埋蔵品から、鉄刀や鏃などの利器や当時の貴人や高官たちの装身具(金環、銀環及び玉類)など副葬品が数多く見られ、考古学上、歴史上からも重要なものである。なお、この古墳群は昭和59年に国の指定史跡とされた。
    〔集落跡〕
     ジーコンボ古墳と同時期の集落跡は、古墳群の西端から役700メートル西に離れた薬師畑の山腹から本村東部の山麓にかけて立地し、多くの土師器を出土している。
    市報はぎ平成5年(1993)6月15日号掲載 (山口県の島々より抜すい)


    伝習行事
     1月1日から3日にかけて、長男が初正月を迎える家では、祝いの鬼揚子(6〜8畳敷)を作り、凧揚げが行われる。8月14日から16日の三夜にわたって盆踊りが行われる。現在では青年団が主催しており、まず盆踊りを行う家に高張提灯をたてる。踊り場には棒を三つ又にし、その下に太鼓をつるし、棒には笹をつけ、手拭などをさげ、口説く人に手拭などを与える。口説く人は四斗樽をふせてその上に板をわたし、その上に立って唱う。そして飾りのついた唐傘をさす。囃す子ども達は太鼓の下にむしろを敷いて坐り囃す。こうして周囲を踊り手が円陣をつくって踊る。踊り場には、以前は新盆の家で外庭の広い家を選んでいた。口説は那須与市、お雪くどき、 おせんくどき等およそ22種目あり、たいていは夜明けまで踊る。

    【レジャー】
     見島は対馬暖流の影響を受けて気候は温暖で、魚介類の豊富なことでもよく知られており、本土からの釣り客が多い。海岸線は巨岩、奇岩や洞門など自然美に恵まれているが、特に宇津海岸一帯は見事な景観を呈しており、断崖からの眺望のすばらしさや、以前見島牛の放牧場であった芝生の広場はキャンプ地として、島の夏を楽しむ観光客の数も多い。本土の人に喜ばれる食べ物では、ウニとサザエを炊き込んだ「ウニメシ」があるほか、新鮮な魚やウニ、サザエ、アワビ等がある。なお、島のみやげ品は、ウニのびん詰をはじめ見島たくあん、アゴのふりかけや鬼揚子等がある。

    【コミュニティ】
     昭和55年5月「見島総合センター」が建設され、婦人会・青年団・老人クラブなどの活動が活発化し、幅広く島民に活用され「コミュニティセンター」として機能している。
    市報はぎ平成5年(1993)7月15日号掲載 (山口県の島々より抜すい)