旧萩藩校明倫館案内

「萩・明倫学舎」は萩藩校明倫館の跡地に立地しており、周辺には藩校明倫館の遺構として、槍・剣道場の「有備館」や水中騎馬が行われた「水練池」などが見学できます。

旧萩藩校明倫館
萩藩校明倫館は、享保3年(1718年)に5代藩主毛利吉元が毛利家家巨の子弟教育のために堀内に建てた藩校です。それから約130年後、嘉永2年(1849年)に現在地(江向)に拡大移転しました。約5万㎡もの敷地内に学舎や武芸修練場、練兵場などがあり、吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)も教鞭をとりました。
水練池 聖賢堂 南門 萩・明倫学舎本館 明倫館碑 観徳門 有備館

1有備館ゆうびかん【国指定史跡】

有備館は、旧明倫館の剣術場と槍術場を移して拡張したもので、木造平屋建入母屋造桟瓦葺いりもやづくりさんかわらぶき桁行けたゆき37.8m、梁間はりま10.8mの南北に長い建物である。内部の北半分は板の間で39畳の剣術場、南半分は土間で54畳の槍術場、各その西側を藩主の上覧場とし、中間に藩主臨場などの場合に使う控室がある。有備館は、藩士の練武のほか、他国からの剣槍術の修業者との試合場、すなわち「他国修業者引請剣槍術場」でもあった。坂本龍馬も来萩し試合をしたといわれる。

2観徳門かんとくもん【市指定有形文化財】

孔子を祀った聖廟せいびょうの前門。当時、南門と聖廟との中間に位置し、万歳橋ばんせいばしを渡り、聖廟を巡らす石柵内への入口になっていた。本願寺萩別院に移されて客殿門となっていたが、昭和57年に現在の場所に移された。

3明倫館碑めいりんかんひ【国指定史跡】

(左側)元文6年(1741年)6代藩主毛利宗広むねひろが創立の由来を伝えるために建てた。(右側)嘉永2年(1849年)13代藩主毛利敬親たかちかが新明倫館の開校を記念して建てた。幕府に対する忠心を意味する箇所(幕命而)が削られた跡がある。

4萩・明倫学舎本館【文化庁登録有形文化財山口県第1号】

藩校明倫館跡地に昭和10年10月10日に建てられた木造2階建の小学校舎。東西両端と中央玄関の棟に藩校明倫館の聖廟せいびょうと同じように鴟尾しびが置かれ、外壁は1階部分は簓子下見板張ささらこしたみいたばり、2階部分は白漆喰しっくい塗りである。屋根のフランス瓦や連続する窓の意匠が特徴的で、モダニズムへの萌芽も見られる。改修整備し、平成29年(2017年)3月4日、「萩・明倫学舎」としてオープン。

5南門なんもん【市指定有形文化財】

新明倫館の正門として建てられた。藩主が聖廟せいびょうを拝する春秋の「釈菜せきさい(孔子祭)」や公式行事以外は開かれなかった。本願寺山口別院に移され正門となっていたが、寄付され平成16年(2004年)に元の位置に移築された。

6聖賢堂せいけんどう【市指定有形文化財】

聖廟せいびょう前、観徳かんとく門の左右にあった東塾・西塾の遺構。両塾を合わせて一棟とし東田町の阿呼社境内に移築されていたが、大正7年(1918年)に再び現在の位置に移された。

7水練池すいれんいけ【市指定有形文化財】

藩政時代、遊泳術や水中騎馬が行われた。東西39m、南北16m、深さは1.5mある。藩校の水練池でわが国に現存する唯一のものである。