第1回 平成27年大河ドラマ 主人公は吉田松陰の妹 文
杉文は、天保14年(1843)3月1日、長門国阿武郡松本村(現在の萩市椿東)の護国山の麓、団子岩と称される地に、父萩藩士杉百合之助、母滝の四女として生まれました。彼女は、杉文から久坂文へ、さらに楫取美和子へと氏名を変え、大正10年(1921)9月に享年79歳で没しました。
生まれ故郷 松本村
文が育った松本村は、長州萩藩の城下町として繁栄していた萩三角州の東郊外にありました。萩藩は慶長9年(1604)の萩開府以来、毛利氏によって統治された、全国約300諸藩中でも屈指の大藩でした。
松本村には、26石取りの杉家に代表されるよう、萩藩内でも比較的石高の低い武士が居住していました。とくに幕末当時、低層の武士の大半は困窮に悩まされ、半農半士の生活を送ったといわれています。現に、文の父杉百合之助の日記をひも解くと、田畑での農作業に関する記述が多く目に付き、麦や豆などを栽培していた様子が分かります。
しかしこの松本村から、綺羅星のごとき人材が巣立っていきます。兄吉田松陰が主宰した松下村塾には、地元松本村から伊藤博文、吉田稔麿、品川弥二郎、山田顕義らが、また萩城下町からも、高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一・野村靖兄弟、前原一誠、山県有朋らが入門。幕末・維新の奇跡は松本村で起こったといっても過言ではないでしょう。
杉家の四女として誕生
杉家の7人兄弟姉妹のうち、文は下から数えて2番目でした。長兄は15歳上の梅太郎(民治)、次兄は13歳上の虎之助(松陰の幼名)、長姉は11歳上の千代(芳子)、次姉は4歳上の寿(寿子)、末弟は2歳下の敏三郎です。文のすぐ上の姉、三女の艶は早世しました。
文が数えで14歳の安政3年(1856)、実家杉家に幽囚中の身だった松陰は松下村塾を主宰しました。その時すでに杉家は、現在の松陰神社がある位置へと転居していました。
文は、安政4年12月、兄松陰から「防長年少第一流の才気ある男」と絶賛され、松下村塾塾生の中心人物へ成長した久坂玄瑞と結ばれます。玄瑞18歳、文15歳のときのことでした。文はそれまでの少女時代を、杉家の人々や松下村塾の塾生達に囲まれて過ごします。