平和橋 (へいわばし)

■市報はぎ 平成7年(1995)10月15日号掲載



 平和橋は姥倉運河に架かり、新川と鶴江台を結んでいます。江戸時代の終わりまでは、鶴江台は陸続きでしたが、安政2年(1855)姥倉運河が開削されてからは、運河に隔てられ陸から離されてしまいました。そのため、鶴江や香川津に渡るには、上・中・下の3か所の渡し舟を利用することになりました。その後、昭和30年(1955)平和橋が完成して、下の1か所の渡し舟のみが残されました。これが今でも、浜崎と鶴江を結んでいる渡しです。
 平和橋は完成当時には、中国地方で最大の水平式旋回橋でした。長さ約29メートル、幅4.5メートルで、工費は2000万円でした。常時は両岸を連絡し、船舶が航行するときには、ボタンひとつで90度左に旋回していました。24時間体制で管理小屋に詰め、橋を作動させていました。小学生などが、団体でこの様子を社会見学に行ったものです。
 この橋の開通によって、初めて鶴江・香川津両地区に車両が乗り入れられるようになりました。香川津の赤碕神社には、「つる江台安村にした平和橋」という句碑が建てられています。安村正人市長時代に計画、起工された平和橋が完成して、生活が便利になったという感慨を込めて詠まれたものと思われます(完成時には、山下誠一市長)。しかしその後、姥倉運河を通航する船舶が減少したためか、昭和57年に平和橋は旋回を停止し、現在では固定橋となっています。