慶安橋 (けいあんばし)

■市報はぎ 平成6年(1994)8月15日号掲載



 慶安橋は、萩の三角州をほぼ東西に2分する新堀川に架かっています。新堀川は、貞享4年(1687)萩城外堀から唐樋町までの間を開削し、洪水の際の水はけ、田地の水抜き、舟による物資の運搬などの効果をあげました。
 橋の名の由来は、江向の慶安縄手(現在の水車筋)の通路上に設けられたので、この名がつけられたということです。また一説には、新堀川開削以前にこの付近に小溝があって、それに架かっていた小橋が慶安年間に造られ、慶安橋と呼ばれていたのでその名をとったともいわれています。
 橋は、昭和35年石橋からコンクリート橋に架け替えられ、今では橋のたもとにある「慶安橋・明和5(1768)戊子重修」という玄部岩の橋柱が往時の名残をとどめています。現在、橋は萩城城下町駐車場から高杉晋作や木戸孝允の旧宅、菊屋家住宅などへの探訪路の入口として、年間を通じて多くの観光客が往来しています。
(ふるさとの橋より抜すい)
 市立図書館前の郷土博物館野外展示場には、慶安橋のほか、江戸時代新堀川に架かっていた城東橋、彩花橋の橋柱が展示されています。