大井川の舟橋 (おおいがわのふなばし)

■市報はぎ 平成7年(1995)12月15日号掲載



 大井川は阿武町に源を発し、萩市の大井地区を貫流して日本海に注いでいます。現在、大井地区内の大井川には3つの橋が架かっていますが、江戸時代には常設の橋がありませんでした。
 江戸時代には、萩城下の唐樋の札場を起点として、石見国益田に至る石州街道が大井村を通っていました。この街道は、藩主が初めて江戸から萩へ御国入りした際に行う長門・周防両国の巡検、「御国廻り」の通路となっていました。石州街道は唐樋の札場を出発し、松本橋を渡って、小畑から猪ノ熊峠に至ります。この峠が椿郷東分村と大井村との境で、藩主が乗る駕籠を置く御駕籠建場が設置されていました。
 猪ノ熊峠を下ると、大井川河畔の門前の集落に至ります。門前は大井村の宿駅で、目代所が置かれ、人馬・駕籠などの用達をしていました。門前からは大井川を越えて、徳山領の大井村に渡ることになります。寛保2年(1742)6代藩主毛利宗広の御国廻りの際に描かれた「行程記」を見ますと、大井川には舟が2艘並べられ、その上に板を架け渡して橋にしています。この橋は舟橋と呼ばれ、長さが25間(約50メートル)ありました。このように藩主の御国廻りの時には舟橋を設けていましたが、普段は橋がなく飛び石で川を渡っていました。現在、大井川左岸の入江のようになった所に、石段の遺構が残っており、ここに舟橋を架設したのではないかと思われます。