弁天橋 (べんてんばし)

■市報はぎ 平成7年(1995)8月15日号掲載



 弁天橋は、藍場川に架かるコンクリート造りの小さな橋です。藍場川が、ちょうど八丁川島の通りと交差する所にあります。幕末期に著された「八江萩名所図画」によると、昔この辺に連貞という尼さんの庵があったそうです。それゆえ連貞橋と呼んでいたのを、いつのまにか言い誤って弁天橋と呼ぶようになったということです。「八江萩名所図画」の挿絵を見ると、当時は欄干のついた石橋であったことが分かります。
 ところで、藍場川は江戸時代には大溝と呼ばれ、延宝7年(1679)に岡山城下で開削された倉安川をモデルにして、延享元年(1744)に開通しました。今でも川島では、橋本川や松本川の大川に対して、藍場川のことを溝川と呼んでいます。50年くらい前までは、舟運路や生活用水などとして藍場川の果たす役割は大変大きいものがありました。
 だからこそ、藍場川の環境を守り続ける努力が払われてきました。江戸時代には、藍場川で次のようなことが禁じられていました。まず、舟の通航の邪魔にならないように、魚釣りの禁止。次には、土砂が落ちて川が埋まり舟の通航が不能にならないように、溝際の土手の歩行禁止。そして、川が汚染され疫病が流行しないように、屎尿や塵芥の投棄禁止。弁天橋の少し上流には、歌人竹内八郎の歌碑がたち、「家ごとに池を構へて水を引き朝夕清き藍場川流る」と刻まれています。いつまでも清冽な流れを保ち続けてほしいものです。