万歳橋 (ばんせいばし)

■市報はぎ 平成6年(1994)11月15日号掲載



 万歳橋は、萩城本丸跡にある指月公園内の志都岐山神社前の庭池に架かる石橋です。もともと藩校明倫館の聖廟前のはん水中央に架けられていたものです。はん水ははん池ともいい、中国上代の形式を模倣したもので、明倫館だけでなく他藩の多くの藩校にも、同じように聖廟の前にはん水を巡らして、その中央に石橋を架けていました。嘉永2年(1849)明倫館が萩城三の丸に当たる堀内から江向に新築、拡充されたときに、諸侯の学校であることを象徴して聖廟前に池を掘り、そこに架けられたのがこの橋です。
 橋は花崗岩でつくられており、中国風のデザインを施した太鼓橋(反橋)で、長さが約4メートル、幅が約3メートルほどあります。明治11年(1878)萩城本丸跡内に志都岐山神社の前身である山口の豊栄・野田神社の遙拝所ができたとき、庭池がつくられ現在の場所に移されたといわれています。江戸時代の藩校の貴重な遺構として、昭和48年(1973)に萩市の文化財に指定されました。
 なお橋の左手には、萩藩永代家老福原氏の萩屋敷の書院が建っています。この書院も萩市の文化財に指定されており、明治15年(1882)に萩城三の丸にあった福原氏の上屋敷から、志都岐山神社の社務所として移築されたといわれています。
(ふるさとの橋より抜すい補充)