雁島橋 (がんじまばし)

■市報はぎ 平成7年(1995)3月15日号掲載



 雁島橋は、松本川最下流に架かり、東浜崎町と新川とを結んでいます。最初の架橋年代ははっきりしませんが、明治初期には架けられていたと思われます。当初は土橋で、姥倉運河口から浜崎町の御船倉横の通りに向けて架かっており、現在の橋よりも下流に位置していました。
 明治38年(1905)、萩町と田万崎町(現在の田万川)を結ぶ県道が改修された際に、架け替えられることになりました。翌年竣工し鉄製高欄の板橋となり、開通式には吉田松陰の実兄杉民治(当時78歳)夫妻が渡り初めを行いました。大正13年(1924)県道が拡幅、路線変更されたのに伴い、左岸で350メートル、右岸で200メートル上流の現在の位置に架け替えられ、鉄筋コンクリート造りとなりました。更に昭和34年(1959)に
架け替えられ、現在に至っています。
 現在も新川の西側、松本川右岸一帯の字名を雁島といいます。この地名は、江戸時代中期の宝永6年(1709)頃に描かれた萩城下絵図に初めて現れます。それによると、雁島は松本川河口にできた中州で、一面に葦が生い茂っています。その後、明和6年(1769)この州の開作が着手されました。途中洪水によって工事は難行しましたが、安永3年(1774)に完成し、州は広大な耕地に変貌しました。雁島という地名は、葦原の時代に、ガン・カモ類ならぬカモメ類がむれをなしています。