追分橋 (おいわけばし)

■市報はぎ 平成7年(1995)5月15日号掲載



 追分橋は、奥玉江の玉江川に架かっている小さな橋です。江戸時代中ごろの「地下上申絵図」や「御国廻御行程記」にはすでに描かれており、ちょうど三見へ越す玉江坂へ上がる赤間関街道と、木間へ行く脇街道との分岐点に架かっていました。まさに街道の分かれ道「追分」の橋であったことが分かります。今も地元の人は、「オイワケバシ」と呼んでいるそうです。
 江戸時代の終わりごろの『防長風土注進案』にも、「追分土橋」と記載されており、長さ7間(約14メートル)、幅1間半(約3メートル)ありました。現在の橋は、本体は木製でアスファルト舗装がなされており、橋脚はコンクリート、欄干は鉄製となっています。
 赤間関街道は、萩城下の唐樋の札場からちょうど1里(約4キロ)の地点に当たります。さらにそこから150メートルほど進むと、藩主一行の休息所となった御駕籠建場がありました。今でも道脇の小高い場所に平坦な地所と、御駕籠建場に上がる取付道の跡が残っています。江戸時代には、歴代萩藩主の御国廻り(防長両国の巡検)、藩主一族の大寧寺参詣や湯本・俵山への温泉浴場に、赤間関街道が利用されました。追分橋も、このようなきらびやかな行列が何度となく行き過ぎたことでしょう。